冬至

 部長が「冬至ふゆなか ふゆはじめ」と呟いていました。「冬至立秋立春のちょうど真ん中、つまり冬の真ん中みたいなものだけど、寒くなるのはまだまだこれからですよ」という意味だそうです。まぁ何ていうんですか、そんな言葉でいちいち注意を喚起してもらわなくても、「冬至すぎたからこれから温かくなる一方だぜ!」ていうポジティブシンキングな日本人はいないんじゃないかと思いました。
 だがしかし。よく考えてみたらおかしくないですか。
 冬至をすぎたから、太陽の軌道はこれからどんどん日本に近くなる訳じゃないですか。
 太陽が出てる時間だって、毎日長くなる訳じゃないですか。
 なのにどうして、これからまだまだどんどん寒くなるんですか? おかしくないですか?
 アタシだって何もね、「ハイ冬至過ぎましたぁ、ここから太陽どんどん近くなってきます、どんどんあったかくなってきます、ハイ梅のつぼみがちょっと膨らんできたところをパンしてCM! 次はカエルのアップから入るよ!」て具合にシステマティックに進めろなんて言いません。一日単位で考えてみても、おてんとさんが真上にくるのは12時で、一番暑くなるのは2時ぐらいです。おてんとさんがすっかり昇って、地面やら何やらががあっためられて、その熱が放出される頃が一番あったかいんです。物事には順序ってぇものがあるから、なんでもこう「ハイハイハイ」って進むもんじゃあない。それぐらいの道理はアタシにだってわかります。
 でもね、冬至は今日でしょ。
 で、暦の上で寒いといわれる「寒」 その中でも大将の「大寒」は1月20日頃でしょ。
 一ヶ月もアイが開くんですよ。そりゃちょっと遅すぎるんじゃないのかと。
 冬至ひとつとっても割り切れない世の中です。人生てぇのは杓子定規にゃあいかないもんさね。
 部長が三日前に「じき冬至だから」と自家栽培の柚子をくれたんですけど、可愛さのあまりパソコンの筐体の上に飾って眺めていたら、どうも熱がよろしくなかったようで、おシリの方から傷んでフニフニになってしまいました。ごめんなさい。

ちなみ

 冬は部屋の奥深くまで優しく届く太陽の光ですが、冬至を過ぎたので、またゆっくりと基本位置まで戻っていきます。これを喩えて部長いわく「畳の目があるやろ、あのこまかーいヤツ。これから太陽の届く範囲が毎日畳の目ひとつ分ずつズレていくんや」
 風流な表現だなぁ・・・と感動して聞いていたら「それぐらいのことも知らんのか。日本の心は失われとるな」と呆れ顔をされました。そ、そんなこと言われても、毎日同じ時間を和室で過ごしてたって、そんな風流な表現ひねりだせませんよ(´・ω・`)
 何かのときに使いたいと思います。いつだ?