わりと諦めついてます

 諦めがついたのは、お義母さんと話をしたときだなぁ。今週の月曜日。「もし赤ちゃんがダメになったとしても、それはきっと意味のあることだと思うよ」「だから、いつまでもそこに縛られてないで。次こそきっと元気な赤ちゃんが授かれると思うから」「しろくまさんなら大丈夫だから」
 その話を聞くまでは、私はもうずっとヒマさえあればお腹をなでて、小さな命の中の心臓が脈打つことを祈っていて、さらにヒマがあったら旦那の手も持ってきて、一緒になでて祈ってました。でも結局、心臓を作ることはできなかったんです。最後に見た写真では小さな塊はちょっとだけ大きくなってて、一瞬期待しそうになったんだけど、お医者さんがそんな私の顔を見て「これは多分、一時的に膨張して膨らんでいるんだと思います。残念ですが、良い兆候ではありません」
 それを見てショックだった訳です。結局その子は自分の形を作ることができず、形をとどめることもできず、ほろほろと崩れてしまうしかなかった命なんです。私はそんな子に向かって、ひたすら「心臓を作れ!」「心臓を動かせ!」って念じてたんです。ひどいことをしたなぁ、可哀想そうなことをしたなぁって、本当に申し訳ないと思った。
 人の祈りの力っていうのはあると思うんだけど、それとは別に、やっぱりなるようにしかならない事もある訳で、2回続けて流産したことにも何かの意味はあるんだろうし、このままずっと子供ができなくても、やっぱりそれはそうなるべきだったんだろうなぁって。なんかね。人の力では捻じ曲げられないもの、捻じ曲げてはいけないものがあるんだなぁって、なんか思った訳です。だからなんだかあっさり諦めがついてしまった。そりゃ、無事に育ってくれたら、それが本当に良かったんだけどね。